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ナスカの地上絵はなぜ消えない?何で描かれているの?徹底解説!

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1939年にコソックというアメリカの研究者が
飛行機から目撃したナスカの不思議な絵は、
後に世界遺産としての地位を獲得しました。

乾いた赤土の上に200以上の特異な絵が存在するのです。

この絵は約2000~3000年前に作成されたとされていますが、
どうして現代になってもなお、風化せずに存在するのか?

こちらの記事では、
ナスカの地上絵が風借りない理由を詳しく説明します。

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ナスカの地上絵はなぜ消えないの?理由を徹底解説!

ナスカの地上絵が風化しない理由は、
いくつかの要因に起因します。

雨量が少なく極端に乾燥している

ナスカの地上絵が長持ちする主な要因は、
その地域の降水量が非常に少ないことにあります。

年間での降水はわずか4mm程。

訪れると一目瞭然ですが、周りには木の姿は見当たらず、
黄色がかった土の地面が広がる砂漠の景色となっています。

そのため、
ナスカの住民たちは傘を持っていないんですよ。

多くの人が砂漠と聞くと、
風で砂が舞うサハラのような風景を思い浮かべるかもしれませんが、
ナスカは土や岩、石が混ざった特徴的な砂漠です。

このナスカの絵は約2000~3000年前に作られたとされていますが、
もしナスカが雨が多い地域であったなら、
これらの絵はすでに消失していたかもしれません。

しかし、最近では異常な気候変動により、
この地域の雨量が増えてきており、
これがナスカの地上絵の保存に悪影響を及ぼす可能性が指摘されています。

なんとか守りたいですよね。

風化しにくいものや環境で描かれている

ナスカの地上絵を描いている線の部分は、
実は、凸ではなく凹になっています。

上層の石を取り除くことで露出した
下層の石灰質の白い土で線が描かれています。

つまり、ナスカの地上絵は
深さ約10cm~15cm程度の溝を掘ることで描かれているんですね。

 

この白い土は湿気と結びつくとセメントのように固化し、
その結果、風化に強い特性を持っているということなんですね。

線以外の部分、つまり上層の石は日光に長く晒されることで酸化し、
黒く変色しています。

この黒い石と白い土との対比が、絵を際立たせているのです。

動物などがいない

ナスカの地上絵には、サルや鳥、アルパカ、クジラなどの姿がありますが、
これらの生物は実際にナスカの地で生息していたわけではありません。

それら動物の絵が存在するのは、
ナスカが他の地域と交流を持っていたらだと言われています。

事実、ナスカの地域には人々が生活していましたが、
そこで多くの野生動物が活動して土地を破壊するようなことは生じていませんでした。

その結果、多くの地上絵が今日まで保存されていると思われます。

マリアライヘさんの献身的な保護活動

ドイツ出身の数学者であるマリア・ライヘさんと彼女の妹は、
若いころにナスカの地上絵に深く魅了され、
研究や保護、さらには修復のために多くの私財を使いました。

彼女たちは地上絵が破損しないよう、
日常的に溝の清掃を行い、さらに、
遠方からも絵を見ることができる展望台の設立を支援しました。

現在、
マリア・ライヘさんは亡き人となりましたが、
彼女の遺志を受け継ぐドイツの研究機関がその役割を引き受けていると伝えられています。

こうした素晴らしい尽力が、
地上絵が現在も失われないでいる要因の一部として挙げられます。

ナスカの地上絵は少しずつ薄くなっている?危機も?

ナスカの地上絵は風化しにくい環境にあり、
現在まで約2000~3000年も残っています。

しかし、近年、
いくつかの要因によってこれらの古代の芸術作品が破壊の危機にさらされています。

  1. 人間の活動:地上絵近くのエリアは、観光、農業、建設活動などによって変わりつつあります。特に不注意な観光客やガイドによる絵への立ち入りが、地上絵の劣化を招いています。過去には、トラックのドライバーが砂漠を横断し、無意識に地上絵を傷つけた事件も報告されています。
  2. 天候の変化:通常、ナスカ地域は非常に乾燥しており、雨はほとんど降りません。しかし、近年の気候変動の影響で、予期せぬ豪雨が地上絵に被害をもたらしています。
  3. 地域の開発:近隣の都市や町の拡大、道路の建設など、地域の発展に伴い、地上絵が危機にさらされることが増えてきました。

これらの問題への対応として、
ペルー政府や地元の組織、国際的な団体は、
ナスカの地上絵を保護するための取り組みを強化しています。

観光客の行動を制限するためのガイドラインの整備、
監視体制の強化、教育活動の実施など、
様々な努力が進められています。

それにもかかわらず、これらの貴重な地上絵を完全に守るのは難しく、
今後も継続的な保護活動と監視が必要とされています。

ナスカの地上絵は世界のどこにある?

ナスカの地上絵は、
ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた一帯の乾燥した高原地帯に位置しています。

この地域の特殊な気候と地質のおかげで、
絵は約2000~3000年の間風化することなく保存されてきました。

ナスカの地上絵はいつ頃描かれたの?

ナスカの地上絵は、
約2000~3000年前に作られたとされています。

約2000~3000年前というと、
紀元前200年〜紀元後800年代、
日本でいう弥生時代〜飛鳥時代くらいの話です。

が、実は、
具体的な時期にはまだ明確な結論が出ていません。

現在も研究中なんですね。

ナスカの地上絵はいつ発見されたの?

1930年代に飛行機から偶然発見され、
その後の研究により、世界中の関心を集めるようになりました。

現在、これらの地上絵はUNESCOの世界遺産として認定されています。

ナスカの地上絵はなんの目的で描かれたの?

ナスカの地上絵の正確な目的や起源は不明であり、
多くの仮説が提唱されています。

宗教的、天文学的、農業的な目的など、
さまざまな理論が存在しますが、最終的な答えは得られていません。

ナスカの地上絵の目的の仮説!

  1. 雨乞い
    雨乞い説は、絵を描いた目的の中で一番有力とされているものです。
    ナスカの大地は、降水量が極めて少ない砂漠地帯であり、その土地に住む人にとって雨は貴重な生活資源でした。その雨が降るようにと祈り雨乞いすることは、古代の人にとっては重要な儀式だったはずです。ナスカの地上絵に「クモ」の絵がありますが、クモは雨を象徴するものであったことが判明しています。
  2. 水探しの手助け
    ナスカ地方は極度に乾燥しており、水は非常に貴重です。一部の研究者は、地上絵が水源や地下水を示すための指標として作られた可能性があると考えています。
  3. 巨大なカレンダー
    地上絵のいくつかは、太陽や月、星々の動きと関連があると言われています。これに基づいて、地上絵が巨大な天文カレンダーとして機能していたのではないかという説もあります。
  4. マリア・ライヘは天文学説
    先ほども登場した、ドイツ出身の数学者マリア・ライヘは、地上絵が天文学的な目的で作成されたという説を支持していました。マリアはこの謎を解明しようと、長い間現地で過ごし、絵の測定や研究を行いました。
  5. 宙からの来訪者、すなわち宇宙人が関与しているという仮説を提唱しています。この説を支持する人々は、一部の絵が現代の宇宙船や宇宙飛行士に似ていると主張しています。

これらの話や仮説は、
ナスカの地上絵がどれほど興味深いものであるかを示しています。

多くの謎がまだ解明されていないこの絵は、
世界中の研究者や観光客を魅了し続けています。

地上絵は実は2種類ある!?

実は、ナスカの地上絵は2つのカテゴリーに分けられます。

多くの人はナスカの地上絵を知っていますが、
同じくらい重要なのがパルパ地域の地上絵です。

これは、ナスカ地域の北部に位置しています。

ナスカの地上絵は、
西暦200年~700年の間に繁栄したナスカ文明によるものが中心で、
一方、
パルパ地域のものは紀元前500年~西暦200年頃に制作されたものが中心とされています。

ナスカ地域には様々な直線や幾何学的な図形、動物の図がありますが、
パルパの地上絵には人の図が特に目立ちます。

 

また、ナスカ地域の地上絵は1〜2mの幅で描かれているのに対して、
パルパ地域のものは幅が数cmしかないため、見つけるのが難しかったと言われています。

確かに、数cmでは飛行機などからは見つけにくそうですね。

その結果、
より広く知られるようになったのは、ナスカの地上絵の方なんですね。

まとめ

ナスカの地上絵がなぜ今現在まで、
長い間姿をそのままに残っているのかについて説明しました。

風化しにくい環境や、保護活動によるものだったんですね。

現在では、気候変動や、人的な影響で、
ナスカの地上絵が破壊されるようなことも起きています。

美しい考古学的遺産を、
みんなで守っていきたいですね!

 

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